令和5年度の病院目標 ~話をしよう~ 2023.2月 病院長

 

元々、社交的でもおしゃべり好きでもない上に、新型コロナのおかげで診療以外で人と会うことも話すこともめっきり減った。当初は面倒くさい会合や遠出を控える口実ができて都合が良かったものだが、ここまで長引くとさすがに弊害をあちこちで感じている。

患者さんのご家族に会う回数が減った。会えないわけではないが色々と制約が多く、ご家族も病院へ遠慮して足が遠のいているようだ。こちらから電話連絡が必要な時に(たいていはバッドニュース)それまでの経過を十分に共有できてない分、当惑や疑念を示されることが増えた気がする。良い報告も心配なことも、外来や病棟で細かに伝えられていたことは、関係づくりのためにとても意味があったのだと実感している。必然性がなくともこちらから定期的に電話をして、もっと会話する機会を増やしてはどうだろうか。

職員のチーム意識が薄れてはいないか。感染対策に労力を割き過ぎたか最近の風潮なのか、顔を合わせて話し合うことなくメールや文書での報告で済ますことが多い。用件が簡潔なのは歓迎だが、表情や口調から察せられる部分がない分、面と向かっていれば解消できる誤解や不満は溜まりやすいのではないか。意見の相違があるのに直接話し合う手間を避けている節も垣間見える。会話してはじめて気付くことや、無駄話から新しいアイディアが湧くことだってあるだろう。そういうことが連帯感が生まれる。個々がどれだけ優れていても、気持ちが繋がっていなければチーム力は弱ってしまうものだ。

法改正にも盛り込まれた虐待防止を他人事と思っていてはいけない。情報や経験不足、孤立感はその芽になる最たるものだ。原因を個人の資質に押し込めず、普段から伝え合い学び合い、気持ちを理解して悩みを分け合うことが最大の抑止力になり、自分自身をも救うことになることを忘れてはならない。ここでもやはり関係作りを意識した言葉がとても重要だと思う。

医療だけでなく、生活援助やリハビリといった福祉分野も、それに措置入院や医療観察法のような保安要素も一緒くたに押し込められてきたのが精神科病院である。地域が許容したくないものを受け入れてきたからこその身動きの取りにくさを、今は「人権侵害の長期収容施設」と責められる時代になった。医療以外の部分を地域住民や行政に肩代わりを押し付けてしまえるのなら将来像は描きやすいが、受け皿のない場所に押し出される患者さんや家族にしわよせを受けさせるわけにもいかない。病院と地域の間にも、自身のリカバリーのため、本音の会話が必要になるだろう。

私たちは数字や物相手ではなく、患者さん、ご家族にチームで向き合う仕事をしている。そこには目には見えない、文字にはならない信頼関係があって、それがお互いの最大の力になっているはずだ。もっと話をしなければ。もっと話をしよう。お互いをよく知ろうとすることから信頼感は育まれるのだ。