令和5年病院設立74周年に寄せて 〜病院が抱え込まずに地域が支える時代へ  2023.10.1

今年わが国は、国連から障害者の権利に関して「精神科病院への強制入院は障害に基づく差別である」と、同意に基づかない入院の廃止の勧告を受けた。

実際の勧告の内容は、我が国では病院が施設化している現状を踏まえながら、入院以外の選択肢として「地域でのケアサポート体制の確立」を求めるものでもあったのだが、精神科病院での虐待や身体拘束の報道と重なった勢いで「医療保護入院廃止論」が声高に主張されることになり、当然のように遺憾を表明した病院団体側は悪役のイメージを払拭できなかったように思う。

医療保護入院制度が廃止されたらどうなるのだろう。非自発的入院がなくて済むならそれに越したことはない。行政や司法絡みの入院は国公立病院が受け持ち、自発的な入院は診療所や総合病院も幅広く受け入れて、非自発的な入院に該当してきた部分を地域で支えようという形になればいい。民間の精神科病院は主に、外来とリハビリ(デイケアや外来作業療法)、アウトリーチ活動(訪問看護や訪問リハビリ、相談、往診)に注力する形に収束するだろう。世間が関わりを拒んだために受け皿となってきたはずの精神科病院が、人権蹂躙施設などと貶されることもなくなり、その献身的な活動がオープンになれば地域を刺激するに違いない。地域の受容力が育つことに繋がるのならば、病院が小さくなっていくことは本意を得る道である。

認知症を取り巻く状況の変遷が参考になる。私が専門外来を始めた頃の「痴呆」患者さんは、一般科医療からも介護制度からも見放されて精神科病院を終の棲家にするしかなかった。しかし患者数が増えるとともに名称も変わり介護保険制度も整えられた。入所施設が急激に増え、それでも足りなくなると地域に普通に生活している存在となった。そうなると行政は率先して「住み慣れた地域で」と住民に啓蒙し、おかげで今では彷徨っていても近隣が声をかけてくれ、「物が盗られた」という110番にもお巡りさんは優しい。他科の門前払いも減ったし介護施設の対応力も年々向上している。地域には様々なネットワークが出来て、困ったときの対応を経験家族が教え合うようにもなった。身近に存在することで「知ろう」という人も「支えよう」という人も自然に増えたのだ。

精神の病気や障害を抱えた人たちは、認知症患者数に迫るほど身近に存在しているのに未だ「よく知らない」存在にされている。世の中が分かりやすい多様性や弱者の権利にばかり肩入れせずに、地域で本気で汗をかいて支える覚悟と手段を持とうとするならば、医療保護入院の廃止も満更夢物語ではないだろう。閉じ込めて見て見ぬふりをしながら理想だけ語るのはもうやめにして、住居探しや就労、お金のやりくり、相談、リハビリ、治療のサポート、家庭内・近隣・職場・学校との仲介などなど、当たり前に医療と連帯できる世の中であって欲しい。そろそろ地域全体が「知ろう」「支えよう」と変わるべき時だ。

国や自治体が進める地域ケアシステムの制度設計は、そういった理念を謳うことにはおざなりで効率化ばかりが透けて見える。本当に障害者の人権を大切にするならば、医療保護入院の数だけ(医療費だけ)減らそうとするのではなく、地域の意識改革にも取り組まねばならないはず。私たちは書類の山に潰されるよりもそういう活動にコミットしたいのだ。このまま地域と病院が責任を押し付け合う状況のままで病棟が消えてしまった時、誰が幸せになるのか。本当の地域精神医療に近づけるのか、理念も病院もダウンサイズのみを続けていくしかないのか、精神科医療が地域と協働する夢を見ながら時代の判決を待っている気分だ。