| 昭和24年10月 | 県北最初の精神病院として津山市横山に高見医院を開設  | 
| 昭和26年8月   | 医院を病院に変更し、高見病院として発足(29室、45床) | 
| 昭和28年12月 | 津山市田町の現在地に新築移転(58室、109床) 
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| 昭和35年12月 | 医療法人に改組 | 
| 昭和40年11月 | 特定医療法人に変更 | 
| 昭和50年4月 | 副院長 修多羅正道が病院長に就任 | 
| 昭和53年2月 | 頭部CTスキャナー導入(昭和61年11全身用CTスキャナーに更新) | 
| 昭和59年7月 | 看護婦寮を改築し、作業療法棟、デイケア棟を建築 | 
| 平成元年4月 | 県北で最初の老人保健施設弥生ケ丘を津山市沼に開設  | 
| 平成3年6月 | 弥生ケ丘増床(97床) | 
| 平成7年3月 | 阪神淡路大震災へ精神医療ボランティアに参加 | 
| 平成8年10月 | 県北初めての「心療内科」鶴山メンタルクリニックを津山市山下に開院  | 
| 平成11年10月 | 居宅介護支援事業所やよい を開設 | 
| 平成12年4月 | 介護保険法施行され、「介護」老人保健施設弥生ケ丘と呼称変更 | 
| 平成13年10月 | 新診療棟が竣工(5病棟300床) 病院名を「希望ヶ丘ホスピタル」に法人名を「高見徳風会」に変更
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| 平成16年3月 | 理事長に高見仁将、病院長に日笠完治 就任 | 
| 平成17年2月 | 病院機能評価ver.4を受審、4月24日付認定証が交付される | 
| 平成18年5月 | 退院患者の自立支援を目指し、関連NPO法人サポートセンター・ウイズ発足 | 
| 平成18年8月 | 3病棟に認知症ケアユニット「さんさん」開設 | 
| 平成19年4月 | 希望ヶ丘ホスピタル南館に「こどもセンターohana」開設 | 
| 平成19年11月 | 鶴山メンタルクリニック閉院 | 
| 平成19年12月 | 居宅介護支援事業所やよいが弥生ケ丘から田町に移転 | 
| 平成20年7月 | レセプトオンライン請求開始 | 
| 平成21年4月 | 標榜科目を「精神科・神経内科・心療内科」から「神経精神科」に変更 | 
| 平成21年8月 | ヘリカルCTの更新(16列マルチスライス)、PACSの導入 | 
| 平成22年4月 | 労働基準法改正に伴う時間有給制度の導入と運用開始 | 
| 平成22年10月 | 在宅療養支援診療所「やよい診療所」を弥生ヶ丘に開設 | 
| 平成23年3月 | 病院機能評価ver.6を受審 | 
| 平成23年4月 | 東日本大震災の支援として、岡山県こころのケアチームが現地へ派遣 民間病院の先陣をきり宮城県南三陸町へ 3名参加。(8月 2チームが福島県南相馬市へ)
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| 平成23年12月 | 県の承認を受け「社会医療法人 高見徳風会」へ改組 法人名変更 | 
| 平成25年4月 | 相談支援事業所 きぼう を開設 | 
| 平成25年10月 | 就労継続支援作業所ウイズ を開設 | 
| 平成26年4月 | 病院長に引地充 就任 | 
| 平成27年3月 | 理事長に高見泰広 就任 | 
| 平成27年10月 | 「地域ケアセンター」設立  | 
| 平成28年6月 | 「こどもセンターohana」を「発達外来ohana」と改め本館1階で診療を開始 | 
| 平成28年7月 | 希望ヶ丘ホスピタルの2病棟を閉鎖し240床となる | 
| 平成28年9月 | 南館(旧館)解体工事開始 希望ヶ丘ホスピタル 電子カルテの導入・運用開始 | 
| 平成29年2月 | 南館(旧館)解体工事完了 | 
| 平成29年3月 | 在宅療養支援診療所 「やよい診療所」 を閉所 | 
| 平成30年10月 | 介護老人保健施設 弥生ヶ丘を津山市田町へ新築移転し、「介護老人保健施設 エスポアール城西」 と名称変更 |